かんなわむし湯
絶妙のタイミングで乗れたバスは、普通の路線バスである。けれど我々にすればハトバス的乗り物。見知らぬ街をクネクネと走るので、車窓の風景は見ていて飽きない。
さて、バスに乗ったはいいが、このバスはいったいどこに止まるのだろうか。
いや、そりゃ鉄輪行きってのはわかってるんだけどさ、そのバス停は鉄輪のどこなのだろうか。
もしかして鉄輪西とか鉄輪東とか、鉄輪中央とかいうバス停があるかもしれない……。ああ、1個前のバス停で降りとけば良かったのにぃ……なんてのはいやだなぁ………。
というのはまったくの杞憂であった。
鉄輪には終点・鉄輪しかバス停がなかったのだ。
しかもそこは我々の宿から歩いて1分のところだったのである。
かつて知ったるなじみの界隈に戻ってきたような安心感。
日は随分傾いていたけど、ようやく湯けむりの町を散歩することができる。
すでに述べたが、鉄輪には、
いでゆ坂
湯けむり通り
筋湯通り
熱の湯通り
そしてそして、映画「男はつらいよ」のロケ現場にもなった銀座通り。
名前だけでもなかなかに魅惑的なこれらの通りが交差している。
そして、通りという通りが湯けむりに満ち、辻という辻に噴気が舞い上がり、どこもかしこもいでゆ情緒たっぷりなのである。
ここをただプラプラと歩いてみたい。
これこそが鉄輪に来た最大の目的だったはずなのに、ようやくここに来て念願かなった。
この界隈には、上人湯、熱の湯、筋湯、地獄原湯、渋の湯などなど、数々の共同浴場があり、たいてい安いので温泉好きにはたまらないだろう。我々はこれらをくまなく回るほど温泉フリークではないので、残念ながら各湯の報告はできない。
でも、そういった湯に入らずとも、界隈を歩いているだけでなんだか和んでくる町並みなのだ。
前回の東北旅行の際に訪ねた東北歴史博物館で、なんだか懐かしい展示物…と思ったら昭和 40年頃の駄菓子屋と民家だった、ということがあったけど、まさにこのあたりは博物館状態。
特に、銀座通りなんて昭和初期の町並みそのままなのだそうだ。
「男はつらいよ」の山田洋次監督も、この銀座通りは「残したい日本の町」と力強く宣言して去っていったらしい。
その事実は帰ってきてから知ったのだった。
知っていれば、その方面にかけてはミーハーな僕だから、その銀座通りはキチンと写真に収めておいたのになァ。
と残念がっていたら、なんとたまたま撮っていた通りがその銀座通りだった。
排水溝から湯気が出ているところを撮りたい、と思い、歩きながらいい場所を探していて、ようやく気に入った場所があったのでパチリと撮っておいたのだ。
写真は大したことないんだけど、気に入った場所が偶然にも銀座通りだったなんて。
僕のセンスは山田洋次に匹敵するのではないか………フフフ。
名のついた通り以外に、猫の通り道的路地裏も歩いてみた。
とにかくどこを歩いても噴気また噴気。
しかも、無造作と言ってもいいくらいに組まれた配管が、随所で豪快に腐食している。まさに「湯屋」ではないか。そのへんの扉を開けて中に入っていったらホントに釜ジイがいそうだった。
そういった路地裏を回ると、何気に地獄蒸し釜があったりする。
泉熱が高いから、湯や蒸気を通すだけで蒸し焼料理がどこでもできるのである。地獄蒸し料理といえば鉄輪名物なのだ。
そういった路地には猫がやたら多い。
配管という配管があったかいので、冬といえど猫も暮らしやすいに違いない。
見るものすべて我々にとってはもの珍しい。この地域の住所も見逃せない。
普通、一丁目もしくは一町目というような呼び方になるところが、
「一組」
という具合に「組」なのである。我々が泊まっている宿の住所なんて「鉄輪風呂本1組」というのが正式の住所なのだ。学校みたいで面白い。
道々の商店には、お土産を扱う駄菓子屋さんふうのお店もあって、午前中ちょっと通ったときは、各店でおせんべいを作っていた。おせんべいを買えばその風景を撮っても失礼ではないかな、と思ったので、是非お土産を買いがてら写真を撮らせてもらおうと思っていた。ところが、当然ながら夕方のこんな時間にせんべい作りをしているはずはなかった。
あと、町外れに大きなスーパーがあったので物色してみた。
生産者名入りの野菜が大型スーパーでも取り扱っているのが面白かった。
でもやはり海が近い町である。鮮魚を見ずして何を見る。
旅行をしていて、このスーパーのウィンドショッピングほど面白いものはない。
沖縄から来ているとなおさらである。
特に鮮魚コーナーなど、同じ国のスーパーとはとても思えないもの。
ナマコが生で売られてるんですぜ。赤ナマコ、青ナマコって。
魚の呼び名もまた違っていておもしろい。大胆にも
「ハゲ」
と書かれた魚がいた。
何かいな、と思ってよく見たらカワハギだった。おまけに、その頭をとって何もかもとって後は調理するだけ状態の物になると、その名も
「丸ハゲ」
だって。おお〜い、タコ主に〜ん!!
スーパーの近くに、有名なひょうたん温泉というのがあった。
創業 75年を越えるというが、鉄輪界隈のいろんな公衆浴場にくらべると、かなり観光客向けの施設である。
滝湯、砂湯、露天風呂に蒸し湯、岩風呂と、さまざまな趣向を凝らしたところであるらしい。それはそれでなかなか興味深いことは興味深いが、たたずまいを見る限り、やや趣が違うといわざるを得ない。入浴料700円といえばだいたい見当がつくでしょう?ま、好きな人はどうぞ行ってみてくだされ。
● ● ●
ふぃ〜〜。
ようやく宿に帰ってきた。
今日は歩きに歩いた。この疲れを癒すため、これからひとっ風呂である。
といっても宿の露天風呂ではない。
かんなわむし湯に行くのだ。
せっかく帰ってきたのにまた出かけるの?と思われるかもしれないが、宿から歩いて30秒ほどなのである。冬とはいえ、浴衣で行っても全然平気なのだ。
さあてこのかんなわむし湯。むし湯とは一体なんだ?
一言でいってしまうとサウナである。それも古式サウナ。日本の風呂の原型であるらしい。
蒸気でムシムシの上に薬草である石菖が敷かれていて、その上にごろりと横になっていればいい、というものである。
どうやらここも一遍上人ゆかりであるらしいが、今は市営公衆浴場なのでこれまた非常に安い。 210円である。
蒸し風呂の中に入る前に、湯船でシモを洗う。マナーである。
この時、上半身や頭まで湯をかけてはいけない。いけないということはないが、湯で暖まったり水分をつけたりしてしまうと限界時間が短くなってしまうのだ。
この湯船と脱衣場は男女別々だが、蒸し風呂自体は男女混浴である。だからといって鼻の下を伸ばしてはいけない。
蒸し風呂の中は、とても素肌で寝転べるものではないため、Tシャツ短パン着用なのだ。
ガイドブックによると、女性はTシャツを着用して……と書かれていることがあるけれど、男性も絶対に着たほうがいい。熱いってものじゃないのだから。
なんだかおもしろおかしく貫禄のあるおばちゃんが番台にいて、以上の説明およびアドバイスをしてくれる。
我々が行ったときは他に客がいなかったので、ほぼ貸しきり状態で使用できたのは幸いだった。
なにしろ、見取り図で見ればなんだか広そうに見えるのだが、実際の蒸し風呂内は、天井は這ってギリギリなほどに低く、明かりは乏しく、熱気で息苦しい。面堂終太郎なみの閉所恐怖症だと、たちまち
「暗いよぉ、狭いよぉ!!」
とドアを蹴破り、飛び出してしまうに違いない。
とりあえず、初心者は5分が限度と思いましょう、と聞いていたので、なんとか5分を目標にしてみた。
暑い………。
最初はそう思っていた。が、時間が経つにつれ、
熱い………。
に変わっていく。
石の枕には持参のタオルを敷いて熱除けをしてあるものの、ケツといい肩といい背中といい、衣服でカバーしているはずの部分がとにかく熱くなってくる。
そうなったらまわりの薬草を積み重ねて防御してね、と番台おばちゃんに教わっていたのだが、石菖を重ねても重ねても熱いものは熱い。身をよじり、腰をくねらせ、ヒイヒイいいながら耐えていた。噴き出す汗は、本来の汗なのかそれとも油汗なのか……。
十数人入れるところに僕ら二人だけだったから良かったけど、これ、混むときはすし詰め状態という。とてもじゃないけど僕には耐えられそうもない。
熱に弱いうちの奥さんなんてひとたまりもないだろうと思っていたら、なんとまだ汗すらかいていないというではないか。なんだ、なんだ、どういうことなのだ?
これでは僕のほうが先に限界を迎えてしまうではないか。
そうなるとなんだか番台のおばちゃんに対して恥ずかしいので、ひたすら我慢である。
すると、そんな声が聞こえていたのか、出入り口の小さな扉が開いた。
「大丈夫ですかぁ?1度換気しましょうねぇ……」
涼しい風が頬をなでていった。
思わず一息。
「何分経ちました?」
「4分。5分は入らないと元取れないからねぇ(笑)。じゃあ、閉めますよぉ。」
うむ、あと1分頑張ろう。
………どれくらい時間が経ったろうか。
ようやく、うちの奥さんは
「あ、やっと汗が出てきた…!」
と言いはじめた。僕はすでに4リットルくらい汗かいているというのに。
いったん汗が出始めると、途端に限界を迎え始めるうちの奥さんであった。
「ああ、熱い……もうだめそう、やばそう…」
よし。出るとするか!
扉を押し開けると、天国のようなすがすがしい空気。
「何分でした?」
「9分30秒!!頑張ったねぇ!!」
くーっ!!あと30秒で10分だったのか……!
その後再度湯舟に行き、今度はじっくりと浴槽に浸かる。ああ、極楽極楽。
汗をさんざんかいたTシャツと短パンは、そもそもウェス用の捨ててもいいやつだったから、即座にゴミ箱へポイ。
鎌倉時代から続いているという、このかんなわむし湯、なかなか侮りがたい浴場だった。
〜豊後鉄輪 蒸湯のかへり 肌に石菖の香が残る〜
と、野口雨情は詠ったそうである。だがしかし、それは出た後だからこそ詠めたに違いない。きっと野口雨情だって、蒸し湯の中では
「ああ、熱い、死ぬウ、苦しいぃ…」
と身悶えていたはずである。 |