うどんめぐり 3

 第二日目

 前夜の疲労と脱力感は、早朝のひとっ風呂が見事に溶かしてくれた。
 禊を済ませ、清い体になって、本日もうどんめぐりを続けよう。

 ところで、とら丸旅館は参道の92段目である。
 金毘羅さんに最短の宿なのである。
 だから、夜ひっそりと静まりかえった中、灯篭に火がともる参道を御本宮まで行く、ということもできるのである。拝観時間が決まっている俗寺などと違い、由緒正しい神様は、
24時間いつでもオーケーなのだ。
 夜行ったことがある、という人の体験記も魅惑的だった。昼間とはまったく様相が異なる御本宮が神秘的だったというのだ。
 行ってみたい。見てみたい。
 でも。
 夕方になるとすでに刀折れ、矢尽きてしまう僕にそんなことが出来るはずはなかった。

 ならば朝登るとするか。
 ああ、それもできない相談だ…。
 というのも、この日はいわゆる製麺所を訪れる予定にしていたからである。

 空前のブームを呼んでいるさぬきうどん、それを食べさせてくれる店には二とおりあって、一つは昨日我々が行ったような一般店と呼ばれているもの、そしてもう一つがこの製麺所である。
 製麺所とは、読んで字の如し。麺を作っているところだ。
 麺を作って、近所の住民に売るところである。
 近所の人は麺を持ち帰り、自分のところでうどんを作るわけだ。だから製麺所ではダシも売っている。

 そういう店内で、うどんが食えるのである。
 もともと食事をさせる目的で存在していたわけではないが、そこで食えるならわざわざ持ちかえらなくてもいいから楽、ということで、近所の人たちを中心に、知る人ぞ知る的店として存在していたわけである。
 ようするに、沖縄で見る素朴な沖縄そば屋さん、と思ってもらえればいい。沖縄そば屋さんは、作った麺も売るけどもっぱら店内で客に食わせるのが本業なのに対し、さぬきうどんの製麺所はその逆なわけである。
 そんな知る人ぞ知るだった店の存在を、多くの本やHPが紹介するものだから、知らない人も知っている状態になってしまったのだった。

 多くの人が昼にうどんを食うということもあって、この製麺所、昼を過ぎると終わってしまうところが多い。営業してはいても、時間が過ぎると打ちたてを味わうことが出来なくなる。
 そのため、製麺所でうまいうどんを食いたいなら午前中に、というのが基本的ルールなのだ。

 先に述べたとおり、我々には最寄の駅から徒歩で行けるところ、という制約がある。
 そういう基準で選んだ結果、この日午前中は善通寺市にある宮川製麺所へ行くことになっていた。

 そんなわけで、金毘羅さんにはこの朝も行けず。
 
92段目の宿にいるというのに、到着後二日目になってもまだ金毘羅さんに参っていない、という客が他にどれだけいるのだろう………。

 宮川製麺所

 善通寺市は、琴平町のすぐ北にある。電車で一駅だ。
 けれど、その電車が1時間に2本くらいしか走っていないので、時刻表は重要である。前日、駅で宿の迎えが来る間、ひそかに書き写しておいたのだった。瞬時に書き写せるほど本数は少ない。

 宮川製麺所は朝8時から開いている。歩いて周る我々にとっては、店から店への間が時間がかかるので、朝早い店は有難い。うどんを食って、善通寺に参拝して、それから次の店に行っても程よい時間帯だ。
 そういうわけで、7時台の電車に乗って善通寺に向かった。

 善通寺といえば、弘法大師空海ご生誕の土地である。真言宗総本山である。
 あれ?真言宗の総本山って高野山じゃなかったの?
 と思ったら、なんとここは真言宗「善通寺派」の総本山なのだそうだ。
 大山倍達極真空手が、彼の死後いくつにも分裂したように、開祖が偉大であれば偉大であるほど、後進は分裂を繰り返すようである。

 それはともかく、同じ開祖なのにこの違いはなんなのだろう。
 ほかでもない、一遍上人と比べている。
 彼のご生誕の地、宝厳寺なんて、場末のネオン街に隠れるように存在していたというのに、弘法大師のご生誕の地には、駅前から一直線に続く道。長さ1キロにも渡るストロングな参道なのだ。
 これは時宗と真言宗の違いによるものか。
 いや、やはり空海という人は凄かった、ということなのだろう。
 なにしろ、片や温泉スペシャリスト、片や農業土木スペシャリストである。庶民の生活救済度はどちらのほうがより大きいか、といえば答は明らかだ。
 そうはいっても、我々は、弘法も筆の誤り、というくらいだから字が上手だったのだろう、ということくらいしか知らない。
 でも、かの中国の人たちの一部には、彼の偉業、才能をいまだに敬い称えている人たちがいるのである。中華の国、中華思想の国の中国で、こんなちっぽけな島国の、それも田舎育ちの人物を中国人が敬う、というのはよほどのことではないか。これ一事で、空海という人がかの地で、しかも短期間のうちに、いかに尋常ならぬ才能を発揮したかということがわかるというものだ。

 が、我々の心はうどん一色なのだった。
 例によってヤフーの地図と一言コースガイドを頼りに店を目指す。

 その最大の目印は言うまでもなく善通寺で、その次のポイントは国立善通寺病院だった。
 中村町という住所はわかっているものの、ヤフーの地図には国立善通寺病院が載っていない。しかたなく、おそらくこの辺り、と見当をつけて歩いていると、突如眼前に宮川製麺所が現れた。
 小さな小さな看板だ。こんなところにこういう店構え。その小さな看板が○○工務店と書かれてあったとしても、なんの不思議も感じなかったことだろう。

 表になんの札もメニューもあるわけがないので、入るのを躊躇してしまう。タイミングよく店から人が出てこなかったら、あと2分くらいは逡巡したかもしれない。

 中に入ってみると………
 ああ!製麺所だぁ!!
 活気溢れる店内に元気なおばちゃんたち。
 店内のほぼすべてのスペースが製麺のためのスペースだったけど、傍らに小さな一室があった。そこでうどんを食うのである。小さなオフィスの中の、セパレーターで区切った会議室、という感じだ。
 この店ではどういう段取りか、というのはあらかじめ学習していたのだが(あ、予習といえば一言で済むのか…)、やはり本番になるとマゴマゴするもの。こういう場合、よそ者としては場慣れたお客さんたちの中でクッキリハッキリ浮いてしまって浮き足立ってしまいかねない。
 だが、ここ宮川製麺所のおばちゃんは優しかった。
 「そこのドンブリ取ってこっち来てねぇ!」
 作今のうどん屋めぐりブームで、おばちゃんたちも、不慣れな客への対応に慣れたのだろう。
 不慣れな客としては、大変有難い。

 ドンブリを持って行くと、
 「いくつ?」
 と訊かれる。
 「はい、
34歳になりました……」
 というマヌケなことを言ってはいけない。
 「1玉」
 というと、さっと1玉を冷水に通し、どんぶりにポンッと入れてくれる。
 その後は各人好きなように処理することになる。
 冷たいうどんに熱いダシをかけて食うも良し、ドンブリのうどんをテボに入れ、熱湯でゆがいた後に熱いダシをかけても良し。うちの奥さんはテボを使ってゆがいてみたかったらしく、熱いのに熱いダシを。僕はシンプルイズベスト、ネギとしょうがを乗せただけのところにうどんしょうゆをたらりとかけて……………。

 う、うまぁぁぁぁいぃぃぃ!!

 あと50杯くらい食えるぞ、これは。
 もう、あとはどうでもいい、とにかくこの美味いうどんを腹一杯食って討ち死にしたい、という誘惑に何度屈してしまいそうになったことか。
 ああ、どうしよう、美味しすぎる………。
 しかもだんな、これでたったの120円ですぜ。
 感動的ではないか。

 以下、宮川製麺所に関するマサエメモ。

 1玉120円
 麺は太め。コシもあり。小麦の味もした気がする。
 出し汁が入ったなべの底に、イリコが。
 イリコ入りで食べたくてかき混ぜたい衝動に駆られたけど、他の人の迷惑になるかと思って断念。
 でも、かき混ぜて食ってもまったく問題ないことが後日判明。クヤシイ。

 料金を払いに行くと、明らかに観光客とわかるせいか、
 「どこから?」
 とおばちゃんに訊かれた。
 「はぁ、沖縄からです」
 と正直に答えた。たしかに事実でしょ?
 でも、沖縄から直接うどんを食うためだけにはるばるここまで来たのかあんた、と思ったろうか…。
 「沖縄にはどんな麺があるの?」
 「沖縄そばですね。そばって言ってもそばじゃないんだけど……」
 「へぇぇ、そう……」
 という会話をほんのつかの間楽しんで、店を出た。
 入ってから出るまで、15分かかったかどうか…。
 30分歩いてつかの間のヨロコビ。時間はわずかだが、その大きさは計り知れない。
 ああ、宮川製麺所よ、シアワセをありがとう……。