ヴィラメンドゥ潜水日記


12月4日

すがすがしい朝のひととき…

 早くに寝たものだから、オジイオバアのように朝早くに目が覚めた。
 いろんな鳥やチャボの声で目覚める、というのはほとんどうちにいるようなものだ。
 まだ暗いうちから起きていたうちの奥さんはいてもたってもいられないようで、6時半には朝の散歩に連れ出されてしまった。
 部屋を出ると、すでに情けない君が友達を連れてきていたので、夕べ持ち帰っていたパンの切れ端をあげた。以来毎朝毎夕同じ場所でピーピーおねだりするようになった。

 木々が多い島は朝の空気がすがすがしく、明けたばかりの空はどこまでも晴れ渡っていて非常に心地いい。早起きは三文の得というが、このささやかな得はエネルギーが切れていくにつれて味わえなくなるのであった。
 さて、せっかくだから島を一周することにした。

 コテージは島をグルリと一周する形で並んでいて、そのすぐ前が海だったり、僕らの部屋の前みたいにわりと広い砂浜だったりといろいろである。
 東の端まで来てみると、西側と同じようにビーチになっている。とはいえ朝日を拝む時間には誰も集まらないので、陽を浴びてきらめく砂浜を独り占めできた。
 東端を南側にまわっていくと、同じようなコテージながら、庭に相当する部分に余裕がある敷地だ。けれど砂浜部分はどんどん波に浸食されているようで、木々を守るために波形のデザインが施されたコンクリートの砂止めがあった。
 ヒヨコを連れて歩き回っているチャボやキノボリトカゲなどを愛でつつのんびり歩いていると、思っていたよりも早くレセプションやダイビングサービスが並ぶあたりまでたどり着いた。
 メインの桟橋に行ってみると、昨夕見たサギが桟橋から魚たちをうかがっていた。やはりフォトジェニックである。
 幼鳥のようであったが、ゆっくり近づいてパシッと撮ってみた。何度か撮ったあと、ワザとカメラを顔の近くに近寄せても、それでも逃げなかった。それどころか、クワッと口を広げてカメラに襲いかかってきた。
 その後もダイブセンター周辺をうろつくコイツを見たけれど、指をブイの字にしてくちばしを挟んでやるようなまねをすると、またしてもクワッと口を開いて手を攻撃的にくわえようとした。デンジャラスバードなのだ。

 桟橋には今朝もイスズミやボラたちが群れ集まっていた。船着き場まで行くと昨夜同様グルクンたちがいる。桟橋の真下にはヨスジフエダイが群れている。こんなに簡単にいろんな魚が見られるのだから、グラスボートなんかあるはずがない。

オムレツ兄さん、オムレツを焼く

 初の朝食であった。
 昼夜と違って二種類のジュースがあるというのがうれしい。
 のどが渇いてもコーヒーと紅茶以外は水ですら有料なので、ゴクゴクと際限なくのどを潤すことができるのは朝食時だけである。
 朝食メニューは滞在中ずっと一緒で、シリアル類があまり好きではない僕は連日オムレツとウィンナーと豆料理を中心にしたメニューであった。
 ただしパン類は種類豊富である。
 オムレツはその場で作ってくれるのだけれど、具の種類豊富なピリ辛オムレツで、断らない限り卵を二つ使う。いつも同じお兄さんで、しまいには何も言わなくても顔を出すだけで焼き始めてくれた。
 オムレツで充分な量なのだが、このうえスクランブルエッグとゆで卵もビュッフェでとると、いったい朝から卵何個分食うのだ、というくらいの卵の量になってしまった。
 この卵、もしかして放し飼いにしているチャボたちの?と思ってシャフィーに訊いてみたら、当然ながら違った。あれは見て楽しむだけらしい。卵は輸入しているもの、とのことだった。

本日も黄金計画

 ダイバーたるもの、さすがに朝からグビグビやるわけにはいかないので、人心地つけてから部屋に戻り、本日の黄金計画に突入した。
 すなわち……九時過ぎに一本潜り、そのあと半水面写真を撮り、昼食を食べ、しかるのちに一服してから午後二時くらいに二本目を潜り、ビールタイムに突入、夕食前には部屋で一服し、ディナータイムへと突入する……。
 人生的ないかなる苦労をも寄せつけない、脳天気そのものの日々なのである。

 部屋からレストランやダイブサービスまではだいたいあるいて3分少々で、他でも触れたがほぼ民宿大城から桟橋くらいまでの距離である。
 普段の我々は、多少の荷物があったらとにかく車を使っているから、この距離を水中カメラを持って歩くのがつらい。
 シーズン中、重いカメラを抱えてエッチラオッチラ桟橋まで歩いてくるゲストのみなさんを我々は何食わぬ顔をして迎えていたけれど、その苦労を今回身をもって知りました。
 なにしろ、一本潜ってから部屋に戻り、半水面用のカメラセットを持ってまたダイブセンターに行く、という具合だったから、カメラを持って何度往復したか知れない。でも、その後の天気がわかっていれば、そんなことお構いなしにもっと頑張ったことだろう。

「昼からビール」は夢のまた夢

 ダイビングは、暖かい水温だからエンドレスで水中に滞在できるくらいだ。残圧50でエキジットしなければならないのがもったいない。道のりのことを考えたら、何本も潜るより一本を長く潜っていた方が楽なのだ。
 ダイビング自体にはそれなりに目的があったとはいえ、トータル的にはビールを美味しく飲むための適度な運動、という位置づけであったから、ランチタイムにはもうビールが飲みたくて飲みたくて仕方がなかった。
 ヨーロピアンたちがまたこれ見よがしにジョッキでうまそうに飲んでいるのである。
 ああ、もう午後のダイビングはいいからビールを……と何度誘惑に駆られたかしれない。
 おまけに午後のひととき、ひとしきり食いきるとすっかり眠くなってくるものである。
 一ヶ月くらい滞在するのだったら、迷うことなく一日一本になるに違いない。下手したら潜らない日も多くなるだろう。

 一週間あまりの日程でしかない我々は、そんな悪魔のささやきにもとうとう屈することはなかったのだった。

ビールのお供にラ・フランス

 午後のダイビングを終えると、待望のビールタイムである。
 喉から手が出てしまっていたほど、ミニバーを開ける瞬間を待っていたのだ。これで冷蔵庫が壊れていたり、島じゅうどこを探してもビールがない、なんてことになったら、僕は発狂して暴れ回ってひっくり返って頓死していたことだろう。
 さて、前日に行ったサンセットバーは、ビールは安いものの人が多かったので、今日は部屋のミニバーからビールを持ち出し、人もまばらな砂浜でのどかに過ごすことにした。
 各部屋には2つずつサマーベッドが割り当てられているのだけれど、とにかくみんな適当に使うから、部屋番号通りのものが所定の場所になく、自力で砂浜から見つけださねばならなかった。
 それは朝の散歩時にしておいた。ただしテーブルが見あたらなかったので、ルームボーイに頼むと、どこからともなく見つけてきてくれた。でも部屋番号が違ったのでその旨訊ねると、今その部屋には誰もいないからノープロブレム、とのことだった。無くなるわけだ。

 先にも述べたけれど、僕らの部屋の前の砂浜は他にくらべてわりと広く、サマーベッドを置いて風に当たっているとなんだかとても気持ちいい。
 こういう余裕が水納島での生活にもあればいいのだけれど、客観的に見たらオフシーズンにサマーベッドを持ち出して海辺でビール、というのはちょっとバカなのだ。
 ビールのお供は、柿の種ではなくフルーツであった。
 ラ・フランスである。

 賢明な読者は覚えておられるであろう。
 出発前日の飲み会で、東日本営業部長にもらった例のラ・フランスだ。
 結局道中どうすることもできず、そのまま無事入国をはたして、我らとともにヴィラメンドゥ入りしたのであった。
 カメラ用の工具箱にあったアーミーナイフで器用に皮を剥き(もちろんうちの奥さんが)、インド洋に浮かぶドイツ人ばかりの島で、水滸伝を読みながら日本産のラ・フランスを食った。インターナショナルな味だった。
 例のサギが眼前の波打ち際に舞い降りてきた。サギの影が砂浜に長くのびていた

 西の空を見ると、いよいよ朱に染まりつつあった。
 残念ながら、僕らがいる砂浜では波打ち際まで行かないと沈む太陽が見られない。
 夕焼けがきれいそうだったから、テクテクと西の浜まで行った。

 今日も大勢の人が、茜さす陽に照り映える海を眺めていた。
 ギャラリーが見守る中インド洋に沈む日没は、昨日に引きつづき「ジュッ」であった。
 我が家では、水平線に太陽が沈んでいくことを「ジュッ」という。
 だって、熱い熱い太陽が海に沈んだら、周辺の海が熱さのせいで「ジュッ」て音を立てていそうでしょ?

 この「ジュッ」は、いつでも見られそうだけれどなかなか見られない。
 モルディブではどうだか知らないが、少なくとも水納島では年間数えるほどしかない。たいてい、あとひといき、というところで雲に遮られてしまうのである。
 めったに見られない「ジュッ」を二日連続で見られたのである。よもや翌日から天気が悪くなろうとは、神ならぬ我々の知る由もなかったことなのであった。
 夕闇迫る中、大きなコウモリが向かいの島まで飛び立っていった。

人も倒れるエアゾール 

 ディナータイムである。ビールである。飯もうまいのである。
 ランチとディナーには必ずデザートもあって、フルーツはあまりパッとしなかったけれどケーキやババロアなど、毎日毎日いろいろあった。お味のほうはなかなか良かったようだ(うちの奥さん談。僕には残念ながら別バラがない)。
 中には「うっ、これは欧米人向き」というのもあったようだが、日本人好みの奥深いものもあったらしい。いずれにしても2日で一品くらいのわりで絶妙なヤツがあるからそれは是非逃さないようにしよう。
 さて、今宵のシャフィー・ディベヒ語講座はチャボたちの呼称であった。
 英語のように、オスとメスで呼び名が違うのだ(日本語でもオンドリ、メンドリというけれど)。
 オス……ハー
 メス……ククル
 ヒヨコ…フィヨ

 とのことだった。ククルもフィヨも、その声からきているのであろうことが容易に察せられる名前である。
 こういう短い単語だと、窒素に犯された我がバカ脳もキチンと機能するのだが、音節が5個以上になるともはや手に負えない。

 部屋に戻ると、昨夜同様ベッドメイキングがなされていた。昼と夜で毎日二回してくれるのだ。
 が、部屋はきれいだったのだけれど、なんともイヤな匂いが立ちこめていた。
 殺虫剤である。
 そういえばさっき隣の部屋から出てきたルームボーイがスプレー缶のようなものを手にしていたっけ。
 近頃の都会人は虫を見なくなって久しいらしいが、こういうところへ来ても、我が身にたかる蚊もハエも、光に集まる蛾も地を這うアリも、何もかも許せないらしい。
 だったら来るなよ、と僕らなどはいいたい。それらを許せない彼らは武でもってこれを制圧することを望むのである。すなわち殺虫剤。
 部屋の中だけではなく、夕方、島の藪に向けても大量投入しているのだ。エンジン付きの強力噴射器だから、まき散らされる殺虫剤の量も大量で、ドアを開けていようものなら部屋の中まで臭くなる。
 これらは自然とのマッチ、というこのリゾートの主旨に反すると思うのだが、ゲストからの苦情がそうさせるのだろうなぁ。

 で、部屋の中があまりに臭かったので、翌日に向けて対策を講じることにした。殺虫剤をまかないでくれ、と部屋にメッセージを残しておくことにしたのである。
 が、英語でどう言えばいいのかわからない。仕方がないので、
Don't の後にスプレーの絵を描き、最後にPleaseを付けておいた。はたしてうまく伝わるだろうか……。

 部屋の匂いはなかなか晴れなかったけれど、睡魔は刻々と我々のうえに覆い被さろうとしていた。