やっぱりチャボはマスコットだった
メッカの神様に声が届いたのかどうか、ややどんよりしてはいたものの雨は峠を越したようだ。
雨にたたられているうちにもう8日である。
到着したのが3日だから、6日目だ。
思えば昨年の今頃は、ハワイの地で珍道中を繰り広げていたのだった。
感覚的には5年くらい前のような気がしていたが、たった一年前だ。

今回は昨年とはうって変わって完璧にダイビングの旅行だから、こうして日々同じような生活をしているといったい今日は何日なのか、何曜日なのかさっぱりわからなくなってくる(オフシーズンの水納島も一緒なんだけど……)。
わからなければいつまでいてもいいというのであれば、僕らは永遠にわからないまま過ごすのだが、あいにくリゾートだから期限が来たら追い出されてしまうに違いない。
朝食のテーブルに着くと、テーブルクロスの色が変わっていた。スタッフたちもメリハリがないと曜日感覚がわからなくなるからだろうか、毎週金曜日にはテーブルクロスの色を変えるのだそうだ。
6日目ともなると、もうすっかりペースをつかんでいる。レストランでも、ウェイター・シャフィーとの会話も弾むようになったし、隣に座っている陽気なイタリアン熟年夫婦とも、島内の別の場所で出会っても挨拶するようになった。ダイブサービスのスタッフたちとも顔なじみになるし、すべてが居心地良くなってくる。
後からやってきたゲストを見ると、ついベテラン気分になって余裕をかましてしまったりもする。
ところで6日目にしてようやく気がついたのだけれど、ビュッフェのデザートコーナーの上にはチャボの置物がオス・メス揃って置かれていた。ここでもやっぱりマスコット的存在なのだ。
さてさて、なにはともあれ、泣いても笑ってもあと2泊。
ああ、お日様が見たいよぉ。
最後の最後でこんにちは
昨日一昨日と午前中ドーニが出発するとき、桟橋から海をのぞくとこれまでになく水が良いように見えた。ようやく満潮がお昼くらいになるタイミングになって、満ちてきている間は水がいいようなのだ。
はたして、ダイブセンター前に潜ると、これまでで一番きれいな青い海だった。
ちょうど、最近のいいときの水納島くらいである。
景観が似ているだけになんだか水納島で潜っているような気分になるほど心地よかった。
ところで、我々が今回使ったフリーウェイツーリストのパックには最初から無制限ダイビング6日間分も入っている。6日間とはつまりチェックダイビングをした日から6日間で、その間なら何本潜ってもボート代(一回につき8ドル)やチャージ代(タンク一本につき50セント)以外かからない、ということになっている。
我々はチェックダイビングをしていないとはいえ、理性的に考えるとやはり初日一本潜った日から6日間ということだから、最終日にあたる明日は料金に含まれていない。
そこで、もう明日はスノーケリングだけでのんびり楽しもうか、という結論に達しかかっていた。実際、それでも充分楽しめるのだ。
というわけで、現段階では今日がラストダイビングだ、という心づもりでいたのである。
そして予定通り2本目も潜り、もうこれで悔いはない、撮らずに終わったものもきっとない、ああ、ありがとうモルディブの海よ、楽しかったよ……
と別れを告げつつそろそろ浮上しようかと思ったその時、そいつを見つけてしまったのだった。
マッコスカーズラスである。
といっても知る人ぞ知る的マニアックな魚であろう。でもそのマニアックな魚を楽しむ人々の間では、イトヒキベラ類と並んで人気の高いクジャクベラの仲間の一種だ。
クジャクベラの仲間たちは、ヒレをたたんで普通に泳いでいる分には全然パッとしない魚なのだが、ひとたびメスの前でヒレをすべてビ〜ンと広げたオスの姿は、注目に値する美しさなのである。
そもそも僕は海の中でこのクジャクベラ類のオスを見たことがなかったので、一目見た瞬間ピキ〜ンと電気が走った。
しかしもう、刀折れ、矢尽き……じゃなかった、エアー減り、フィルム尽きていた僕にはその姿を網膜に焼き付ける以外に手はなかった。
これまで何本も潜ってきたこの場所で、何度も通ったこの根で、なんでよりによって最後の最後で登場するのだ!
あまりに海中で悔しがっている僕を見て、うちの奥さんは、僕が3本目行くって言ったらどうしよう、と内心穏やかではなかったらしい。
もちろんビールタイムを削ってまで潜るはずはない。
ただし、この日がラストダイブとはならなかったのであった。
モルディビアンたちの休日
6日目ともなると、昼食、夕食で並んでいるパンもどれがうまいかわかってくるから失敗しない。一番美味しかったのはハーブパンだ。それに僅差でスープにつくパン。モグモグモグモグエンドレスに食べたい味だった。
でもパンで腹を膨らせていたのではもったいないし、昨日メッカに向かって自重しますと誓った手前、とってぇ〜とってぇ〜とささやき声をかけてくるこれらパンたちの声を断腸の思いで封印し、適量で済ませることに成功した。

ディベヒ語講座もどんどん語彙が増えてきた。雨のおかげで水関係の言葉も多い。水とはフェンという。ワーレ・フェンというとすなわち雨水のことになる。雨が降らなかったらついに知ることはなかったろう。
Good nightはややこしかった。いまだに発音がよくわからないのだけれど、たしかバッジェ・ウェリ・ウェンデとだったと思う。
我がバカ脳では3歩歩けば忘れること必至だった。けれどこの時はメモを持っておらず、しかも帰り際だったこともあって、わからんからまた明日に!と言ったら、隣のイタリアンが「手に書け手に書け」と陽気にゼスチャーしていた。さりげなくここ数日の我々の様子をずっと見ていたのだ。
馴染んでくると話は単語だけにとどまらず、彼らウェイターの私生活にまでおよんだ。
いったい休みは年間何日あるのか。
こうして来る日も来る日も給仕していて、いったいいつ休んでいるのか気になってしょうがなかったのだ。
彼らの休日は年間一ヶ月とのことであった。トータルではなく丸一ヶ月間のホリデイである。
休む月はみなそれぞれまちまちで、シャフィーの次の休みは来年7月だという。サマーバケーションである。
そのほかタンクマンや土産物屋の兄ちゃんにも聞いてみたが、やはり一ヶ月の休みなのだという。
みんな一ヶ月の休みを終えると、ほぼ一年後までまた黙々と働くのである。
僕だったらきっと耐えられそうもない。このあたりは、宗教的な戒律を加味することによって精神状況が変わるのだろう。
ところで休みになると何をしているのかというと、ドライブやフィッシングなのだそうだ。ドライプ?いったいどこで?
もちろんヴィラメンドゥで、ではない。もともと無人島にできているリゾートなのだからそこの住民であったわけではないのだ。
シャフィーはアドゥ・アトゥール出身だという。アドゥ環礁?聞かない名前だ。ダイブセンターのモルディブの地図にはどこにも載っていなかった。エリアが違うのだ。
彼がいうにはアドゥ環礁は大きな島で、いくつか橋をつなぐことによって50キロくらいの道のりをドライブすることができるのだという。
モルディブ最南端の環礁らしい。マーレから飛行機(水上飛行機ではない)で1時間だが、船で行ったら3日はかかるそうである。往復6日じゃ日本人のホリデイが終わってしまう、と笑っていた。
不思議なことにヴィラメンドゥのモルディビアンはアドゥ環礁出身の人が多かった。タンクマンのラージュも土産物屋の兄ちゃんも、フロントの男性もアドゥ環礁なのだ。
なんだかとってもアドゥ環礁というのが気になったので、翌日土産物屋でモルディブの地図を購入したところ、なんと驚いたことに、数多いモルディブ国内の環礁の中で、一人アドゥ環礁だけ赤道よりも南にあった。モルディブ共和国は南半球にまでおよんでいたのだ(北は北緯7度ちょいまで)。南北800キロにわたる国なのである。
モルディブ人たちが自分たちの暮らしをしている島というのは首都マーレしか知らなかった。マーレは空から見た限りではえらく都会である。この南の端のモルディビアンたちの土地は、いったいどんなところなんだろうか。楽しそうに話すシャフィーを見るかぎり、さぞかし素晴らしいところであるに違いない。
タコ主任の休日
楽しい食事を済ませ、部屋に戻ると静かな夜である。
テレビもねぇ、ラジオもねぇ、車もそれほど走ってねぇ、のがイヤで東京に出てくる人にとっては、この静寂は耐えられないものかもしれない。
部屋に戻ってからの静かな夜は、言ってしまえば飲み会がない日の水納島の夜9時以降と大して変わらないのだが、やっぱり、はるばる来たぜインド洋っていう旅情があるから雰囲気が違う。
思いおこせば、二人っきりで海外旅行というのは新婚旅行以来である。
今回の旅行は、当初は KINDONと鳥羽のタコ主任も一緒に行く予定だったのだけれど、このメンツの中で唯一のサラリーマンであるタコ主任の都合がつかなかった。
友人思いではない僕はそのまま予定を進めてこうして二人で来ているが、先輩思いのKINDONは彼に付き合って行き先を変更し、今彼らはパラオに行っているのだ。まだ肩書き無しの単なるタコだった頃は強気に挑戦的な休みを取っていたくせに、肩書きがついた途端に会社思いの優良サラリーマンになっているタコ主任であった。
ところで、もし彼の休みが取れていたらどういうことになっていたろう。
僕らとほぼ同じ価値観で潜る連中だから、ダイビング自体はより以上におもしろかったに違いない。
けれど、毎夜毎夜KINDONの「な〜にやっとるンやぁ」というにぎやかな声が飛び交って、この静けさはとうてい味わえなかったろうことは想像に難くない。
連日の雨はタコ主任の怨念、という説があるものの、この静かな夜に関する限りは、彼に休みを与えなかった鳥羽水族館に感謝しなければならない。
彼ら二人は今どうしているだろうか?と、チラッと気にしつつ、風にそよぐヤシの葉音を聞いていた。 |