1月14日

3・暗雲たれこめる

 煮詰めた旅程は以下のとおり。

 初 日…浦添の先輩宅で新年会
 2日目…埼玉の実家へ
 3日目…引き続き埼玉の実家に
 4日目…午後一で上野へ、そして池袋へ
 5日目…飛騨高山へ
 6日目…引き続き飛騨高山に
 7日目…しつこく飛騨高山に
 8日目…時間未定ながらとにかく鳥羽へ
 9日目…大阪の実家へ
 
10日目…引き続き大阪の実家に
 
11日目…実家の隣になる茨木で友人と飲む
 千秋楽…水納島へ

 フフフ…。我ながら完璧な計画である。
 本当は埼玉にいる間にウロコムシ武田さんの写真展にお伺いしたかったのだが、モロモロの事情によりその話は潰えてしまった。そのモロモロはおいおい明らかになるであろう。

 行き先は決まった。
 旅程も決まった。
 チケットも手配した。宿の予約も終わった。
 あとはゆるゆると出発の日を待つだけである。
 那覇を発つ日は1月16日(日)。
 そして昨年同様、我々の旅程に配慮して決めていただいた毎年恒例の新年会が15日。つまり15日には島を出なければならない。

 こういう場合、冬の水納島はなかなかスリリングになる。
 なにしろ海況悪化で連絡船が欠航すると島から出られなくなってしまう。たとえ那覇から飛行機は飛ぼうとも島から出られないとどうしようもない。
 そのため、当日海況の悪化が見込まれる場合は、一日早く島を出なければならなくなる。天気図をにらみ、天気予報に耳を傾け、船長と相談しながら過ごさねばならないのだ。

 過去にも旅行直前にハラハラドキドキする天候になったことはたびたびあった。でも、結局のところ一度として早めに出なければならなくなったことはなかったし(帰れなかったことはあったけど)、年末年始に1度大荒れになったきり、ここのところずっとジャブ程度のチョイ荒れ状態で済んでいる。まさか欠航することはないだろう。
 そう高をくくっていたら……。

 なんだか雲行きが怪しくなってきた。
 我々が島を出たい15日に船が動くかどうか、2日前の時点で船長カネモトさんが保証できかねる天気予報になってきたのである。
 さあ、ここからがモンダイだ。
 14日が壊滅的に荒れてしまったら、15日に出られるかどうかも怪しくなる。
 でもひょっとすると出られるかもしれない。
 うーむ……。
 だったら余裕で運航している今の時点、すなわち13日に島を出てしまうというのが最も確実な方法だ。
 13日朝の天気予報を見てそうやって色めき立っていたところ、午前11時になって天気予報が豹変した。
 「これだったら、少なくとも明日の朝一便は出せるはず」
 少し安心したカネモトさんがそう告げてくれた。
 良かった良かった。13日から島を出なければならなくなったら路頭に迷ってしまうところだったのだもの。

 ……と安心していたら。
 天気予報は午後5時になって再び変わった。豹変の次は虎変とでもいうのだろうか。
 夕方の天気予報は、朝見たものよりもひどくなっていた。
 おいおい、マジかよ、やばいよこれは……。
 いつものようにはずれてくれれば良かったのだが、穏やかだった空は次第次第に雲を寄せ集め、雨を降らせた後は一気に強風を運んできた。

 翌朝。
 絶望的な音が家の周囲から聞こえていた。
 モクマオウが風に叩きのめされ、波頭は幾重にも重なり合ってリーフで砕けまくっている。
 これは間違いなく……欠航だ。
 確認すべく、カネモトさんの家に行こうとすると、雨降る中、テクテクテクとカネモトさんがやってきた。その顔を見れば、本日の運航予定はすぐにわかった。

 欠航である。

 うーむ…………。
 はたして我々は島を出ることができるのか?
 完璧だった旅程は、初日を迎える前にいきなり用無しになってしまうかもしれなかった……。
 ああ、赤影よ、朴葉味噌よ、飛騨牛よ…。