●海と島の雑貨屋さん●
写真・文/植田正恵
月刊アクアネット2013年10月号
水納島は漁師が一人もいない島だけれど、目の前の海から海の幸を獲るのは普通のことで、盆や正月、法事など、人が集まるときに供する料理のために追い込み漁をすることもある、ということはかつて触れた。
追い込み漁は、そのとき都合がつく男性メンバーで執り行われるのがもっぱらながら、年に一回、学校行事の潮干狩りの日だけは、中学生や先生方を交えて「追い込み漁体験学習」みたいなことを行うのが通例だ。
追い込み漁の一度あたりの漁獲量はその都度違うけれど、豊漁不漁を問わず、刺身、から揚げ、魚汁(魚が具の味噌汁)を4、50人分くらいは必ず確保できる。
つまり網にかかった大小様々なお魚の数は、100匹どころの話ではないということになる。
となると大変なのは、獲ることそのものよりも獲ったあと、その魚たちをさばくことだ。
それを追い込み漁に参加したメンバーだけで行なうのは絶望的な量である。
ところがよくしたもので、水揚げが終わり、そろそろさばきましょうか、というタイミングになると、おばあたちがどこからともなく(もちろん家からだけど…)手に手にウロコ取りと包丁を持ち、ワラワラと海岸にやってくる。
その海岸で、追い込み漁をやっていたメンバーと潮干狩りをやっていたメンバーとおばあたち……つまりほぼ島民全員が協力して魚をさばくわけだ。
誰が指示しているわけでもないのに、ウロコを取る人、内臓を取る人、それらが取り去られたものを海水で洗ってきれいにしてからクーラーボックスに納めていく人、という分業があっという間にできあがり、1時間もしないうちに大量の魚たちがさばかれていく。
初めて見る人はまるでショーでも見ているかのように、一様にその手際のよさに感嘆する。
水族館に勤めていた頃の私は、魚たちの餌を作るために魚をさばいていたから、一般的平均値の人よりも魚をさばくのはうまいはずだと自負していた。
ところが島に越してきたばかりの頃、島の人がウロコ取りなどという便利な道具すら使わず、5、60センチはある魚のウロコを包丁1本で落とし、内臓を取り、三枚におろして皮を剥ぎ、あっという間に刺身にしてしまうのを目の当たりにしたときは思わず舌を巻いた。
こりゃあ、島の人の前では恥ずかしくて魚をさばけないな、と思ったものだった。
そんな私も今では、素人の前であればドヤ顔をして平然と魚をさばけるくらいには上達した。
80cmくらいあるアカジン(スジアラ)を庭先でおろしているときなど、観光客が興味津々で寄ってきたら、むしろ得意気になっているくらいだ。
それもこれも、魚をさばく際の環境の良さのおかげといっていい。
海辺や庭先ならウロコがどこへ飛ぼうともお構いなしだし、たとえ屋内でさばいていても、内臓など必要ないところはすぐに海に戻せる。
ウロコが飛び散らないようにしなければならないし生ゴミの処分は大変だし、そもそも俎板よりも大きな魚をいったいどこでさばけばいいのか、という諸問題がある都会の一般家庭とは大違いなのである。
都会では、釣果のおすそ分けで丸のままの魚をもらっても、ありがた迷惑という家庭が多いのだろうか。
島では考えられないけど……。