●海と島の雑貨屋さん●
写真・文/植田正恵
月刊アクアネット2021年6月号
コロナ禍で日本が大変になり始めた昨年、今まで聞いたこともなかった妖怪(?)を知る機会を得た。
「あまびえ」だ。
なんでも疫病を払ってくれるらしく、コロナ禍中にそのご利益にあやかろうと、それをかたどったお菓子やグッズが売り出され、ニュースで目にしたかぎりではけっこう人気を博していたようだ。
それが今年になってあまり目にしなくなったのは、当たり前になって話題にならなくなったのか、それともあまり一般受けするキャラではなかったのか、はたまたご利益などまったく無いことにみんな気づいたからなのか…。
沖縄の田舎に行くと、その家の玄関、もしくは台所周辺に、特徴的な形をした貝殻が吊るされていることがある。
スイジガイという名の巻貝で、上から見ると漢字の「水」に見えることからその名がついた。
水という字に見えるかどうかはともかく、その形の特異さから、単にオブジェとしても絵になるスイジガイ。でもその身は美味しく、炒め物などにするとやめられない止まらない。なので、水納島では昔から重要な食材のひとつではあるのだけれど、身の水産資源的価値は、貝殻とは比べ物にならないくらい低い。逆に言うと、貝殻が通販でホイホイ売れる世の中でさえなければ、彼らスイジガイの安全安心な生活が保障されることになる。
あまびえのようにはっきりとキャラクタライズ(?)されているわけではないものの、「水」に似たその形にあやかろうということだろう、いつしか火除けとして台所周辺に置かれるようになったようだ。
火除けはいつしか魔除けへと守備範囲を広げ、飾られる場所も台所から玄関先まで幅広くなったらしい。
スイジガイはイノー、すなわちリーフ内の潮が引けば歩けるくらいの浅い海でも普通に見られる貝だ。
不寛容化著しい現在の沖縄は、たとえ自分で食べる分だけであっても一般人が海で食用の生物を獲ると罰せられてしまう社会になっているけれど、まだ社会が寛容だったその昔の海辺に暮らす人々は、漁師ではなくとも普通に食糧確保のために海を泳いだり、干潮時に合わせて海を歩いたりしていた。
当時の獲物の中には、必ずといっていいくらいスイジガイも入っていたことだろう。
スイジガイを魔除け的に飾る風習が沖縄県内のどういったあたりに分布しているのか、詳しいことは知らない。聞いたところによると少なくとも水納島では、特にスイジガイのご利益にあやかる風習はなかったという。
そういえば、おじいおばあがまだまだ元気いっぱいだった20年くらい前の水納島では、食糧確保のためにみんなよく海に行っていたから、身を取ったあと不必要な貝殻は裏浜にうずたかく捨てられていた。
私はそこを水納貝塚と呼び、綺麗に形が残っているスイジガイをゲットしたものだった。
殻を割らずに中身を取り出すのはひと手間かかるので、ただ食べる目的であれば貝殻をたたき割ってしまえばこと足りる。にもかかわらずわざわざひと手間かけて殻をきれいにキープしておきながら、なぜだか貝塚に廃棄するこの不思議さ…。
それが今の世の中では、ネット上で「スイジガイ」と検索するだけで、スイジガイの殻を販売するサイトがゾロゾロ出てくる。
しかもひとつひとつがやたらと高価で、今や食材としての需要よりも、貝殻の需要のほうが圧倒的に上回っているようだ。
火除けだ魔除けだとご利益を謳いながらネットで販売する、という時点でバチあたりな気もするけれど、あまびえの突然の脚光の浴び方を振り返ると、流行りもの好きな日本人のこと、かくなるうえはコロナ除けにはスイジガイ、なんてことになるかもしれない。
架空の妖怪は人気の盛衰だけで済んでも、スイジガイはたちまち絶滅してしまうことだろう。
貝殻販売サイトが謳うご利益の守備範囲が、コロナ禍にまで及ばないことを祈ろう。