●海と島の雑貨屋さん●
写真・文/植田正恵
月刊アクアネット2021年7月号
コロナ禍で日本でもすっかり定着したテレワーク。職種によってはかなり便利なようで、
「これまで通勤に費やしていた時間と労力はなんだったのか?」
という声も多い。
大きな声では言えないけれど、テレワーク化でむしろ例年よりも水納島にお越しになる頻度が増えたゲストも何人かいる。
そういったゲストにお聞きしたところによると、通勤皆無のテレワークによる運動不足もさることながら、一人暮らしだと会話が極端に減るという。
私が引っ越してきた四半世紀以上前の水納島では、まだまだおじいおばあが現役世代。それでも基本的にみな暇だったこともあって、越してきた当初は毎晩のようにおじいたちに飲み会に誘われていた。
それだけでも相当なカルチャーショックなのに、昼間もおじいおばあが我が家の前を通りかかるたび、あるいは何か差し入れの野菜を持ってきては、ゆんたくしていく。
ついでに立ち話というよりもそもそもの目的がゆんたくで、もちろん30分どころでは終わらず、まだ荷物も片付かないやることだらけの毎日にもかかわらず、入れ替わり立ち替わりのゆんたく攻撃にお手上げになることもしばしばだった。
おじいおばあの多くがお星さまとなり、過疎高齢化を驀進中の現在の水納島ではあるけれど、それでもやはりおばあが集まる家、現役世代が集まるお宅など、どこかしらの家々がゆんたく場になっている。
そのうちの一軒は私が借りている畑のすぐ横なので、人の出入りの様子がわかるし、場合によっては話の内容まで聞こえてくる。
今年のスイカの出来はどうだろう…と、突如スイカ試食会になった昼下がりの島のゆんたく場。太陽を浴びながら露地で育ったスイカはことのほか甘く美味しく、作者も大満足の出来具合いだったようで、話には満開の花が咲くのだった。
たいていは天気の動向や島のいろいろ、前夜の釣果など、言ってみればたわいのないことを中心に、訪れた人は1時間ほどゆんたくして帰っていく。
ホストはリタイア世代で悠々自適生活を過ごしているから時間はたっぷり、むしろ入れ替わり立ち替わりの訪問を喜んでいるようで、私も畑から帰ろうとするときに呼び止められ、ご自慢のコーヒーをごちそうになったことがあるほどだ。
いわば「ゆんたく」は、島の暮らしに欠かせない娯楽なのである。
一昨年お星さまになってしまったお隣のおばあの家は、島のおばあたちが集まるゆんたく場で、その様子はまるで、陽気に包まれた昼下がりに妖精たちが集まって、楽しげにおしゃべりしているかのようだった。
そういえば、たまたまその場に野菜をおすそ分けに行くと、妖精たちからいろいろと質問攻めにあったっけ…。
その際「上がってゆんたくしていきなさい」とせっかく誘ってもらったのに、忙しさのあまりお断りしてしまったのが今でも悔やまれる。
「ゆんたく」という娯楽には、心と時間の余裕が欠かせないのだ。
緊急事態宣言下で外出自粛だ会食自粛だなんだかんだと世間が騒いでいても、おかげさまで水納島の場合、島内で島民と接触するのは自分の家で家族と会話しているのと大きな違いがないから、みなさんのゆんたく生活はほとんど通常どおりで推移している。
それに比べれば、在宅勤務がメインになった方々は、職場での他愛もない会話がなくなるのだから、会話が極端に減るのももっともだ。
そのほうがくだらないオヤジギャグを聞かされることもなく、むしろ無駄な会話が無くなってせいせいしているという方のほうが多いのかもしれない。
けれど他人とのなにげない会話には、日々の心身のバランスをほどよく調整する効能があるに違いなく、人と人が出会うだけで会話が弾み、「思い立ったらちょっとゆんたく」できる水納島は、なんとも昭和的な素敵な環境だなぁとつくづく思うのだった。