●海と島の雑貨屋さん●
写真・文/植田正恵
月刊アクアネット2021年9月号
水納小中学校が休校する前年くらいに、グランドの片隅に突如倉庫が建てられた。
その名を「本部町防災備蓄倉庫」という。
東日本大震災以来、「防災」という言葉を金科玉条にし、ありとあらゆるものが作られている日本において、全国的に各地域にこういった災害時用の倉庫を設ける予算が確保されたのだろう。
数年前に完成した頃には、島の人々は冗談で「島に初めてのコンビニができた!」と笑っていた備蓄倉庫は、お役所の物件(?)だけに管理は学校の先生方に任されており、幸いにして倉庫が活躍する事態は出来していないから、散歩やジョギングで近くを通りかかるときに外観を眺めるだけだった。
ところが小中学校の休校が決定したため、内容を把握していた先生方が、退任前になぜだか私に中身の説明をしてくれる機会があった。
初めて見る倉庫内には、災害時に必須な水や食料はもちろんのこと、カセットコンロやヤカン、トランシーバーに懐中電灯、常備薬系の薬やトイレットペーパー、そして簡易テントに簡易シャワー設備まで、かなり多岐にわたる避難生活時便利グッズが詰まっていた。
食料はカンパン程度なのかとおもいきや、各種リゾットや五目飯、ピラフ、そしてなんとも魅力的な(※個人の感想です)わかめご飯というラインナップ。
でもこれらはきっと、出番がないままいずれ賞味期限が来るだろうに、そういった管理はだれがするのだろう?
東日本大震災のあと、水納島住民の緊急時避難場所は2階建ての学校校舎の屋上ということになっている。それに併せて校舎外から直接屋上まで登ることができる階段まで設置された。非番場所もグランドの片隅の防災備蓄倉庫も、いざという時には大活躍することだろう。しかし何から何まで揃っている備蓄倉庫とはいえ、24時間以上にわたる津波警報で避難中となると、いつ津波が来るとも知れぬなか、命懸けでグランドに降りてアルファ米食品を取りに行かねばならない。そんな事態になれば、倉庫設置場所を決めたお役所はきっと、「想定外でした」というのだろう…。
…と思っていたところ、今夏、7月の台風としては異例の連絡船1週間欠航という事態に陥った際、本部町役場から島の班長に、備蓄倉庫の内容物を放出してOKのお達しがきた。
島民としては連絡船が台風で1週間前後欠航するのはむしろ日常事態だから、それに備えて各家庭はちゃんと準備してあるし、少なくとも過去四半世紀の間に、本部町が水納島にそういった配慮をしたことなど一度も無かった。
ところが、足早に去っていくはずだった台風の思いがけない停滞によって、他の離島では物資や生鮮食料品が品薄もしくは不足しているというローカルニュースが県内で大々的に報じられたことが沖縄県を動かし、今まで無関心を決め込んでいた本部町役場にもお達しが届いた、ということなのだろう。
ともかくもせっかくのこの機会に大々的に利用させてもらうことにし、これまで長らく開かずの間だった備蓄倉庫の扉を開けた。
役場から直々に利用OKと言われても、簡易テントや簡易シャワーなど必要ないし、誰と会話しあうためにあるのか意味不明なトランシーバーも不必要。ターゲットはもちろん食料だ。
雨降るなか備蓄倉庫を訪れ、各種ご飯ものメニューを吟味しつつ、島内各世帯で2日分くらいになるよう分配することにした。
お湯や水を入れるだけで調理できるアルファ米使用のメニューが中心で、非常用携帯食といえばせいぜいカンパンくらいしかなかった私の子供の頃と比べれば、なんとゼータクなことだろう(賞味期限は3年くらいある)。
島の多くのみなさん同様、欠航1週間といっても食糧事情的に我が家はまったく危機的状況ではなかったけれど、せっかくなので和風リゾットを実食してみた。
これがまたけっこういけたので驚いた。
さらなる企業努力でますます充実するかもしれない非常食。でも災害時のほうが普段より美味しいなんてことになったら、それはそれでカナシイことかもしれない…。