体長 20mm
90年代初め頃の私は放浪のダイビング主婦と称し、だんなを都内単身赴任状態にしてあちこち潜りに行っていた。
八重山方面にも遠征したことがあり、石垣島でお世話になったショップでは、申し込み用紙に要望を併記できるようになっていた。
もちろんエビカニが好きであることをアピールしつつ、
「カクレエビの仲間が見たい」
と、すかさず記入。
本人的にはごく普通のつもりだったのだけれど、どうやら今でいうなら随分変態社会的危険人物と思われた気配があった……。
当時はようやく国産の一眼レフハウジングが世に出回り始めた頃で、巷では「ハゼ、ハゼ」と騒ぐヒトが出始めたばかり、それすらまだごく一部の世界だったから、エビカニが好きなんていうのはかなりの変化球だったのだ。
そんな危険人物を快く潜らせてくれた海は、私にとってまさに理想のポイントだった。
浅いガレ場からソフトコーラルがあるドロップオフ、サンゴの群生するパッチリーフまで、さまざまな環境が箱庭的に狭い範囲に詰まっている。
しかもひととおりガイドしてもらったあとは、残りのエアーで遊んでいてOKという、カメラ小僧にとっては願ったりかなったりのホスピタリティ。
ナデシコカクレエビとの初めての出会いは、その時のことだった。
もっとも、当時はナデシコカクレエビなどという和名はなく、そもそもこのエビ自体が当時の図鑑のどれにも載っていない。
そのため出会いはしたものの正体はわからず、ニセアカホシカクレエビかなぁ、それにしては随分ピンクっぽいぞ…などと「?」マークを頭の上にたくさん出しつつも、ともかく初めて見るエビだったから少し興奮して撮ったのを覚えている。
ナデシコカクレエビの体がピンクっぽく見えるのは、宿主のハナガササンゴの色味の加減かもしれない。
チョウジガイ系のサンゴで観られるものはさほどピンクっぽく見ないけれど、宿主に関係なく模様の色は赤紫色だ。
ただし小さい頃、もしくはオスでは体の点々はあまり目立たない。
ところが成長するにつれ(もしくはメス限定)、点々模様がだんだんお花模様になってくるし……
…尾の模様もまた、ニセアカホシカクレエビとは異なる。
まだ市民権を得ていなかったためカミングアウトしてはいなくても、着実にひっそりとエビカニライフを過ごしていた変態さんたちには当時すでにこのエビの存在が認識されており、やはりみなさんニセアカホシカクレエビのバリエーションなのか、それとも別種なのか…と悶々としていたようだ。
しかし今のようにSNSなどですぐさま縦横無尽に情報が飛び交うわけではない世の中だから、認識が共有される機会はなかなか訪れなかった。
そして初遭遇から待つこと10年、ようやく図鑑にナデシコカクレエビという名前で掲載される日が来た(「エビカニガイドブック2」)。
このテのエビには「アカホシカクレエビ」や「オドリカクレエビ」のように模様の特徴や行動に由来する和名が多いのだけど、このナデシコカクレエビだけは例外的に、抽象的なイメージ優先の名前であるところが面白い。
お花畑のようなサンゴの上に佇む花柄模様の可憐な姿にピッタリの可愛い名前。すっかり老朽化して物覚えが悪くなった我が頭にもすんなり馴染んでくれるのでとっても気に入っている。
水納島では、ナデシコカクレエビは砂地のポイントではまず観られない。そのかわり白い砂底ポイントの照度に比べると遥かに暗い岩場のポイントで、ハナガササンゴやチョウジガイ系のサンゴの上で、複数匹いるのをちょくちょく見ることができる。
↑このときには、ひとつのサンゴ群体に10匹ほどのナデシコカクレエビがついており、個人的観測史上史上最多記録を達成していた。
珍しいところでは、センジュイソギンチャクについていたこともある。
水温の低い時期に出現するアカホシカクレエビの若い子たちは、真夏になると居なくなってしまうことの方が多いのに対し、ナデシコカクレエビは盛夏にゲストにご案内することができる…というイメージもある。
卵を抱えるほど育ったメスでも、近縁の他種と比べると随分小ぶりで、卵の色もなんだかパールのように見えなくもない。
チョウジガイ系のサンゴは触手が密集しているため、エビがその表面にいるので全身を余さず観察しやすいのに対し、ハナガササンゴの場合は長い触手に包まれているため、いると信じて探さないかぎりなかなか見つからない。
変態社会人が市民権を得てしまった現在では、このテのサンゴをサーチする際に邪魔な触手を人為的に引っ込ませてしまうヒトたちが増えており、せっかく隠れているところを丸裸にされてしまうエビたちは、たいそう迷惑を蒙っていることだろう。
でもそのようにサーチせずとも、ナデシコカクレエビがいるとわかることもある。
ナデシコカクレエビもまたクリーナーなので、遠目に魚がハナガササンゴの上に来て身を委ねているポーズをしていれば、このエビがそこにいるかも…と見当をつけることができるのだ。
サンゴの上に乗っている彼らは、近づいてじっくり見ようとすると、両方のハサミ脚素早く小刻みに左右にピロピロ振りながら、一生懸命何かをアピールしているように見える。
クリーナーであることをクライアントにアピールしているのか、はたまた私を危険生物とみなし、戦う姿勢をアピールしているのか…。
ハナガササンゴの上にこのエビが乗っていると、まさにお花畑に撫子。
なんだかとってもメルヘンチックに見えるのだった。