H石 巻

 年末年始で大阪の実家に帰省していた際、観るともなくつけていたテレビに、中村雅俊が出ていた。
 なにやら歴史物のドキュメント番組のようだ。

 ところが映し出されている映像は、中村雅俊の故郷だという石巻だった。

 もちろん震災後の風景である。
 変わり果てた景色の中で、かつて夕陽ヶ丘で総理大臣をしていた彼は、ただただ静かに立ち尽くしていた。

 石巻といえば。
 北のマスターの故郷でもある。
 そして北のマスターのご実家もまた、津波被害と事後処理の結果、跡形もなく消えてしまった。

 日本人として一度は被災地を観る必要があるんじゃなかろうか…などという殊勝な気持ちを強く持っていたわけではないものの、ようやく実現できた今回のみちのく行、せっかくここまで来たのだから、北のマスターの故郷を探訪してみようと思い立った。

 もとより現地に行って何ができるというわけではない。
 プリプリのように期間限定で再結成し、コンサートツアーの売り上げを全額被災地に寄付できるわけでもない。
 でも、いろいろ調べてみて営業を再開しはじめているお店が思いのほか多いことを知った僕は、自分にできることをひとつ思いついた。

 現地に行って楽しんだことを、いろんな人に伝えよう!!

 マスコミが伝える被災地の話といえば、そのほとんどが現地が抱えている問題ばかり。
 そりゃもちろん大変さを理解してもらうことも大事とはいえ、営業を再開し始めたお店にとっては、100の激励よりも1人分の売り上げ。被災地の現実問題を伝えるだけでは客足増にはつながらない。

 そこで、その売り上げに個人的に多大な貢献などできないかわりに、楽しかったということを伝えることによって、訪れる人を増やすことに1ミリくらいは役に立てるかもしれない。

 なので石巻を訪れる我々は、今なお山ほどあるに違いない「考えなきゃならないこと」は心に留めおくだけにし、とにかく楽しむことにした。
 そのため場合によっては、ヒトの苦労も知らずに観光客が……と思われるような描写が以後多々あるかもしれないけれど、どうかそのあたりのことをご斟酌いただいたうえでご寛恕賜りますよう、あらかじめお願いいたします。

 さて、仙台駅にてアネモネフィッシュさん&すかてんポチ1さんの東京B型フィフティーズ(なんだか最強タッグチームみたい……)とお別れし、Tさん号はひとまず市内某所へ。

 北のマスターをご自宅でピックアップするのだ。

 当初我々は、この日電車で石巻へ行こうとしていた。
 北のマスターの故郷探訪とはいえ、いくらなんでも3連休の3日間ともお付き合いいただくってわけにもいかない。

 ところが、我々が石巻へ行くという予定を伝え聞いた北のマスターは、

 「11日 石巻行とのこと 節介ながら お供いたしませうか?

 とお声掛けしてくだっさったのだ。
 これ以上の最強ガイドを望めようか。
 というわけでお言葉に甘えることにし、この日Tさんご夫妻とともに5人で石巻を目指すことになった。

 ちなみにTさんご夫妻は震災直後、北のマスターが変わり果てたご実家でどこから手をつけてよいのやら途方に暮れていたところへ駆けつけ、あれよあれよという間に「片付け」を完遂されたのだという。

 Tさんは、吹き飛んでしまった我が家の屋根をみるみるうちに解体して片付けてくれた、島の牛追い人・マサシさんのようなプロフェッショナルな人なのである。

 仙台市街から、高速で一路北を目指す(インターでチケットを受け取る際に、機械が日本語の案内のあとに「Please take a ticket.」と英語で言わないのがとても新鮮だった。あれって沖縄だけ??)。

 Tさんがおっしゃっていたとおり、こちら方面は雪の気配など微塵もない青空が広がっている。
 そんな高速道路をもう随分走ったかなぁ…と思ったら、まだ仙台市内なのだった。
 広すぎだろう、仙台市………。

 そしてようやく、石巻へ到着。
 電車で来るつもりだった当初の我々は、駅から漁港まで歩いてみようかしらん♪などと考えていた。
 それを聞いた北のマスターは

 「いやあ………歩きですかぁ??」

 なにやら止めておいたほうがいいですよぉ、という響き。
 地図で見たところ4キロくらいだし、歩いても1時間ほどだろう。道々何かあるかもしれないし、漁港内の食堂で食事をすれば、ちょうどいい時間帯に再び駅前に戻ってこられる……

 …と考えていたのだけれど。

 ともかく港方面を目指した。
 すると大きな橋が架かっていて、

  「記念にここを歩きましょう!」

 北のマスターが言う。
 駅から漁港まで歩こうとしていたくらいなんだから、軽いモンでしょう!とまでおっしゃられては、もちろん当方に否やのあろうはずがない。

 Tさんご夫妻は車で橋を渡り、橋の向こう側で待機ってことなので、北のマスターと我々夫婦の3名で、寒風吹きすさぶ橋を渡ってみた。

 この大橋、その名を日和大橋という。
 パッと見、那覇の泊大橋のような風情だ。
 工業用の石巻港と石巻漁港を繋ぐ橋で、石巻湾に流れ出る旧北上川の上に架かっている。
 たしかにこの橋がなかったら、人の行き来はかなり不便だったことだろう。

 そんな橋から、太平洋を一望できる。
 その反対側には………

 津波の直撃を受けた被災地が広がっている。
 以前の姿を知らぬ者にとってはそういうものなのかと看過してしまいかねないけれど、ここら一帯には本来、住宅地からお店から、ビッシリと建物が並び立っていたのである。

 今はただ、ポツンポツンと全壊を免れた家々が点在するばかり。

 また、集積された瓦礫の山で、祝日(建国記念日)にもかかわらず重機がセッセとダンプに瓦礫を載せている。まず地域を建て直さなければならないこの地域に、「建国記念日」もへったくれもないに違いない。
 瓦礫は、受け入れ先の北九州あたりに運ばれるのだろうか。そんなことで役に立ちたくはなかったろうけれど、大きな港がすぐ近くにあるというのはかなり便利そうだ。

 僕らの眼には、今なお大量の瓦礫の山に見えるけれど、北のマスターによるとこれでもひと月前と比べただけでかなり少なくなっているらしい。

 塵も積もれば山となるくらいだから、逆にすれば瓦礫の山もいずれは消える。

 また別の場所には、自動車が堆く積まれていた。
 沖縄でも解体屋の土地などで見られる光景だから、何も知らなければこれまた見過ごしてしまいそうなところ。
 しかしよくよく見れば、すべての車にまだナンバーが着いている。
 すべて津波の被害にあった車なのだ。

 被災地のことを何も知らなくとも、車が2年経ってもこうして山積み状態という様子を見るだけで、今なお復興へのいろんな足かせがかかっていることがうかがい知れる。

 橋の向こう側に、Tさんの車が待ってくれていた。
 橋の向こうにあるファミリーマートだったかホームセンターだったかで待っていて、と行っていた北のマスターだったけど、残念ながらというか当然ながらというか、そのお店は消えうせていたのだった。
 ヒトがいてこそ存在できるお店である。ここで営業を続けるのは厳しかったに違いない。

 さて、そろそろお昼時になってきた。
 石巻へ行こうと決めたキッカケは、すでに触れたようにいろいろなお店が営業を再開、もしくは新たに開業しているということを知ったからだ。
 石巻漁港に古くからあった食堂も復活しているという。
 このところ沖縄本島各地の「漁港食堂」を巡っている我々にとって、日本、いや東洋有数の漁獲量を誇る漁港の食堂とくれば、これ以上に魅力的な食事場所はない。

 というわけでやってきました石巻漁港。
 そこには……

 水揚げされたばかりのマグロがッ!!

 ………んなわけないじゃん。
 これ、気仙沼の観光ポスターの写真です。
 そもそも本日2月11日は祝日である。
 ウミンチュさんたち、みなお休み。

 ウミンチュさんたちみなお休みってことは、すなわち漁港の食堂もみなお休み。

 旅行前に我々が「お、ここは♪」と思ったお店はすべて休日お休みであることはあらかじめ知っていた。
 でも、日本、いや東洋有数の漁港である。食堂のひとつやふたつくらいは開いているに違いない。

 そう思っていたからこその、駅から徒歩行計画だったのだ。

 が。
 それは現地を知らないオロカモノの考えであった。
 なにしろ石巻漁港は巨大である。
 駅からの距離はたとえ4キロほどでも、港内を歩き回るだけでも同じくらい、いや、下手をしたらそれ以上の距離があるではないか。
 そんなところで、ホントにあるかどうかもわからぬ食堂を求めて右往左往していたら、おそらく日が暮れる頃には、どこぞの空き地で空腹を抱えて野垂れ死にしていたことだろう。

 そんなオロカモノを救うべく同道してくださった仙台チームのおかげで、どうにかこうにかようやくランチをいただけるお店に辿り着けた。

 旧北上川の中州にある石ノ森萬画館の対岸すぐのところにある、「石巻まちなか復興マルシェ」にそのお店はあった。
 「石巻まちなか復興マルシェ」とは、街中にいろんなお店が学祭っぽく集まった一画である。
 津波のために店を失った方々が営業を再開できる場所を、ということで有志がプロジェクトをたちあげてできたところだそうだ。

 その有志のお1人が、北のマスターと同級生なのだという。

 これも何かの縁。下手をしたらお昼ご飯を食べられないかも…と窮地に陥っていた我々が、まさに「冥加」のような飲食店にめぐり合えたのも、この場所に居を構えてくれた石巻まちなか復興マルシェのおかげである。

 さあて、ランチをいただきましょう!!

 後ろにダンボールが積まれてあることなど気にしてはいけない。
 なにしろちょっと海側に行けば、そこにはナンバーつきの自動車が山積みなのである。ダンボールがなんだというのだ。

 ここで僕が迷わずオーダーしたのがこれ。

 海鮮丼♪

 近頃は日本全国どこの海辺に行っても「海鮮丼」というメニューがあるけれど、ここまで圧倒的に海鮮の丼をいまだかつて見たことがない。

 メニューには他に、三色丼とか五色丼という海鮮系丼ものがあったので、はて、この海鮮丼というのはそれらと何がどう違うのだろうと不思議に思い、おねーさんに伺ってみた。
 すると、なんとこの海鮮丼は、強いて言うなら13色丼なのであった。

 超豪華。
 これ、シャリに辿り着く前に、ネタだけで生ビール2杯くらい行ってしまいそうです……。

 うちの奥さんはといえば、今が旬の海藻たっぷりの「海鮮めかぶ丼」。
 ただでさえ彼女のツボメニューだというのに、採れたての旬なワカメとメカブは、今思い出してもヨダレがあふれ出るほどに激ウマだったらしい。
 やはりビールが進んでいる。

 ……って、昨日からこっち、ずっと運転してくださっているTさん、お酒は大好きだというのに飲めない状況の中、ダハダハダハと周りで無神経に飲んでばかりいてすみませんっ!!

 …といいつつ2杯目を頼むワタシ。

 トレーラーハウスの店舗でありながら、出てくるメニューはどれもストロングな本格派。
 また、脇役として添えられている味噌汁が、海辺っぽくふのりのお味噌汁ってあたりが観光客にはウレシイ。
 これがまた酒が残っている胃袋にやさしいんだわ……。

 みなさんもそれぞれお好みのものをオーダーされていて、そのうえさらに、是非みんなでつつきましょう!と北のマスターが頼んでくださったのがこれ。

 ご存知、石巻焼きそば!!

 このところの全国的なB級テイストブームもあって、今や石巻に焼きそばありってことはかなり有名らしい。

 有名だということはなんとなく聞いたことはあったものの、どんなものかはまったく知らなかった。
 そのあたりを、石巻最強ガイド北のマスターが語ってくれた。

 いわく、石巻焼きそばの麺は、二度蒸ししているのだという。
 フツーの焼きそばの麺がどのように作られているのかをそもそも知らない僕が、二度蒸ししているのだと言われてもピンと来るわけはない。
 それでも、とにかくフツーの焼きそばとは麺の製法が異なるのだということはわかった。

 石巻焼きそばが有名だとはいっても、それは調理の方法とか具などに特徴があるものだとばかり思っていた。

 餃子で有名な宇都宮の餃子の皮が、そこらで手に入る皮とは製法が一味異なるのだ、なんて話は聞いたことがないものね。
 ところが、まさか麺の作り方そのものが独特のものだっただなんて。

 北のマスターによると、本当はソースを絡める以前から、二度蒸ししているために麺は茶色っぽいそうで、そのうえ調理でももっとソースを絡めるから、完成系はもっともっと茶色いはずなのだとか。

 それでも人生初の石巻焼きそばである。
 実食!!

 おお………たしかにフツーの焼きそばとは一味違う!!………ような気がする。

 ホントはソースを絡めるのが基本らしい。
 でもこうして塩味メインでいただいても、麺自体の味がタダモノではないことがわかる………ような気がする。

 後刻訪れた物産店で、3人前入りの石巻焼きそばをゲットした。

 なるほど、袋にも「二度蒸し」と明記してある。
 ナマモノながら18日が賞味期限だったから、我々の帰沖後でも大丈夫だ。

 帰ってさっそく!!

 北のマスターから伝授された、本来ソースを絡めるものなのだという教えも、目玉焼きが載っているものなのだということもクリアした。
 が、キャベツを買うのを忘れたためにマサエ農園のチンゲンサイで代用というところからアヤシクなり、あろうことか、北のマスターがこれだけは曲げられないとばかりに訴え続けていた、

 紅しょうが

 を買うのを忘れてしまった………。
 石巻焼きそばには紅しょうがが欠かせないのだそうな。

 ま、画竜点睛を欠いたものの、それでもやはり、マルちゃんのソース焼きそばとは一味違う北の味覚は、沖縄で食べてもかの地を思い出せるシアワセの味なのだった。

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