全長 7cm
子供が自由に想像だけで描いたような奇抜な模様のこのテングカワハギは、サンゴ、それもミドリイシ類がビッシリと一面を覆っているようなリーフだったら、浅いところで苦もなく出会うことができる魚だ。
彼らにとってのミドリイシは、餌そのもの。
といってもオニヒトデのようにサンゴ群体全体を死なせてしまうようなことはなく、その小さなおちょぼ口でサンゴのポリプを一つ一つついばむ。
その程度の食害であればサンゴの群体自体はビクともしないから、テングカワハギがどれほどたくさん住んでいようと、サンゴ礁は健全そのものの状態を維持できる。
そういう海なら、このおもちゃのような魚がペアで、もしくは多数が群れ集まって、サンゴからサンゴへ泳ぎ渡る様子を普通に見られることだろう。
98年のサンゴの白化以前の水納島の海でも、それこそあたりまえのようにテングカワハギはいた。
ところが白化のせいで、沖縄の多くの海域同様、水納島のリーフをビッシリ覆っていたミドリイシ類は、ほぼ壊滅の憂き目に遭ってしまった。
食住を100パーセントミドリイシ類に頼っているテングカワハギたちは、ミドリイシがないと生きてはいけない。
そのため白化後、テングカワハギたちは消えた。
あれほどたくさんいたというのに、シーズン中に若魚を1匹見られればラッキー、というほどのレアな魚になってしまった…。
でも。
夜明けの来ない夜はない。
白化から9年ほど経つと、リーフ上のミドリイシの復活が随分と目立つようになってきた。
そして2009年には、ついにリーフ上でテングカワハギのペアを確認。
きっと彼らは、水納島周辺海域でのアダムとイブになってくれることだろう。
そう遠くない将来、水色地に黄色い水玉の小さな魚が、楽しげにサンゴを泳ぎ渡る姿を見る日がやってくるに違いない。
…と書いたのは2012年のことだった。
成長速度に加速度がついたリーフ上のサンゴたちは、年を追うごとにどんどん復活を遂げ…
毎年コンスタントにテングカワハギチビターレの行進が観られるようになった。
テングカワハギ、完全復活。
これでしばらくは安心……
…と思いきや、2016年に再びサンゴの白化の危機が。
インリーフやリーフ上の浅いところにいるミドリイシ類が再び壊滅の危機にさらされ、9月、10月には青息吐息のサンゴが目立つようになってしまった。
幸いなことに、2016年の水納島における白化は98年ほど壊滅的ではなく、サンゴが死に至った被害はごくごく浅い場所や水が淀みがちな場所だけで済み、リーフ上のサンゴの多くは死滅を免れた。
パステルカラーになって危機を迎えていたサンゴたちの多くは生き延び、テングカワハギもまた、住処を失わずに済んだのである。
なので翌2017年にも……
テングカワハギチビターレの大行進。
ちなみにここには13匹写っているのだけれど、「画面の中に18匹」が個人的最多記録である。
テングカワハギはオトナになると7cmほどになり、模様から受けるイメージほど可愛くなくなってしまう。
その点チビターレは、模様どおりの可愛さを誇る。
そんなチビターレたちが餌をついばむ様子はこんな感じ。
テングカワハギの繁殖期が始まるのは5〜6月だからか、チビターレの行進が目につきはじめるのは8月もお盆頃になってから。
その後水温が高い間は観られ続けるから、どうしてもチビターレの団体をご覧になりたいという方は、8月以降にお越し下さいませ(※注 気候の変化なのかなんなのか、近年はチビターレの登場がやけに早く、ミニマム級のチビターレが観られる時期も、昔に比べるとかなり長くなっている)。
水温が低い時期にはチビターレは観られず、オトナのテングカワハギがペアでいる。
腹ビレ(厳密にはヒレではなく、腹部膜状部というらしい)の模様で雌雄を区別することができ、黒だけなのが↓メスで…
細かい白点とオレンジが入っているのが↓オスだ。
それを踏まえて↓これを見ると…
奇跡のツーショットと絶賛される(?)この写真、実はラブラブ写真ではけっしてなく、どちらもオスであることがわかってしまうのであった。
でもテングカワハギが2匹でいるところを撮った写真を振り返ってみると、けっこう仲良くオス同士で過ごしていることもあるようだ。
ただしそれらはいずれも秋以降に目にしたもので、その年生まれたチビたちがある程度大きくなった若い子というケースである。
まだ本当の意味で「ペア」になっているわけではなく、たまたま「2匹の団体」ということなのかもしれない。
ちなみにチビターレの団体を観てみると、どれもこれもほぼ同じ模様が入っている。
むしろチビターレの頃からオトナのメスのように黒一色になっている子はいないようだ。
いったいどのあたりから「メス」模様になるのだろう?
ところで、我々ダイバーから観るとオトナも子供も愛らしく見えるテングカワハギだけど、気の向くままにサンゴからサンゴへ渡り歩いているために、サンゴごとに縄張りを持つ魚たちにしょっちゅう追い払われている。
チビターレ団体もけっしてお目こぼしはしてもらえない。
ニセモチノウオに追い払われているテングカワハギチビターレの図。
その他、オトナのテングカワハギたちは、イシガキスズメダイやルリホシスズメダイに邪険にされている。
そんなオトナのオスメスたちは、6月半ば過ぎ、ちょうど沖縄の梅雨が明けるか明けないかくらいから、なにやらアヤシイ動きを見せ始める。
そしてメスのお腹はパンパンに膨らんでいる。
おそらく繁殖行動の一環なのだろう。
もっとも、毎年チビターレはたくさん目にしているものの、ペアのアヤシイ動きに気がついてから5〜6年経っても、テングカワハギの産卵を観る機会はなかった。
いったい彼らはどのように産卵しているのだろう?
やはり夜明け前とか日没近くなのだろうか。
それとも日中に物陰で?
どこにも情報が無いので、重点チェックポイントはわからないままだ。
そんなおり、同じカワハギの仲間のヌリワケカワハギの産卵シーンを目撃し、そういえばこの動きと同じようなことをテングカワハギもしていたことを思い出した。
ということは、テングカワハギは日中にちょっとした物陰で産卵するってことか…
…という見当はつけたものの、いかんせんダイビング的にベストシーズンを迎える初夏以降に、たとえリーフ際でアヤシイ動きをしているテングカワハギのペアに出会ったとしても、ゲストをご案内がてら最後まで観続けることができる機会はまずない(最初からそれが目的ならともかく)。
それが今年(2021年)はモロモロの事情で一杯のかけそばダイビングを余儀なくされることがたまにあり、おまけにコロナ禍中でわりとヒマだったから、カメラを携えつつ1ダイブ丸々浅いところで過ごすこともあった。
そのおかげで、妊婦を擁するテングカワハギのペアを、じっくり観察することができた。
6月のことである。
テングカワハギたちはサンゴ、特にミドリイシ類のポリプが好物だから、普段はサンゴの周りをヒラヒラ泳いでいる。
ところが、この日出会ったお腹の大きなメスのペアは、妙な場所をずっとウロウロしていた。
その様子を見ていると、行動の主導権はお腹の大きなメスにあるように見える。
で、上記リンク先の動画にも出てくる、岩壁から垂れ下がる藻の塊のようなものにやけに執着し、ツンツンとペアでつつきまくっていた。
そういや、同じカワハギの仲間のハクセイハギも、海藻に産卵していたっけ…。
ということは、これはひょっとして??
期待に胸を膨らませつつ観ていたところ、観られているのがイヤだったのか、その場を離れ、また戻り…をしばらく繰り返した後、別の場所に移動していったペア。
しかしそこにも同じような藻の塊があった。
するとまたそこに執着し、執拗に突っつき始めるペア。
今度こそひょっとして?
すかさずコンデジに切り替えて動画で撮っていたところ……
産卵シーン、ビンゴ!
なるほど、やはり彼らはずっと産卵床を物色していたわけか…。
産卵床の場所を決めるのに物色に費やした時間に比べれば、あっという間の産卵&放精。オスの立場っていったい……。
ところで、卵はどのように産み付けられているんだろう?
肉眼では何も見えなかったけれど、とりあえずテキトーに撮ってみた写真を後刻モニターで見てみると…。
パラパラパラ…と卵っぽいものが。
これが卵だとしたら、奥には卵がもっと密になっているところがあるのだろうか。
とにもかくにも、初めて観察できたテングカワハギの産卵シーン。
おそらくこの時期、リーフ際のいたるところで同じようにテングカワハギたちは産卵していることだろう。
今夏もテングカワハギチビターレの大行進間違いなし!
※追記(2023年1月)
その後も毎年順調にチビターレの行進が観られているテングカワハギたちなんだけど、昨年(2022年)はその行進がチビターレだけにとどまらなかった。
例年であれば、夏場に行進していたチビたちがオトナになるにつれ、やがて団体は解散してペアごとになっていく…
…というパターンだったのに、昨年はすっかり秋も深まった頃、オトナと変わらぬほどのサイズにまで成長しているにもかかわらず、↑このような団体があちこちで観られた。
ひょっとしたら今(2023年1月)もなお過去形じゃないかもしれない。
これが本来のテングカワハギの様子だったっけか、98年以前のありようを忘れているから比較できないのがもどかしい。
これが通常なのか、それとも異常なのか。
今夏その答えがわかる……かな?
※追記(2024年11月)
2023年の夏のテングカワハギたちも、やはりオトナまで団体さんで観られることが多々あった。
そして2024年も、引き続きテングカワハギたちはやたらと多かった。
ところが、ついに恐れていたことが起こってしまった。
サンゴの白化である。
梅雨明け後ほどなくして異常といっていほどの高水温状態となってしまい、ストレスを抱え続けていたサンゴたちは、早々にパステルカラーになってしまったのだ。
その後台風でも来て多少なりとも水温が下がってくれればなんとかなったのだろうけど、あいにく発生する台風はことごとく沖縄方面とは無縁の場所を行く。
そして秋になるとサンゴたちは次々に力尽き、死んでしまった。
骨格だけを残して死んでしまったサンゴには、すぐさま藻がはびこりはじめる。
サンゴに食住を大きく依存しているテングカワハギたちは、当初こそ「あれ?」というくらいのものだったようだけど、なにしろそれまでがそこらじゅうサンゴだらけでエサに困ることがない生活しかしていなかったものだから、緊急事態に陥ったことをにわかに悟ったらしい。
なんとなんとテングカワハギの若衆たちが、すでに完死して藻が生えまくっているテーブルサンゴをつつき始めている始末。
背に腹は代えられないといっても、そりゃいくらなんでもヤケクソすぎるんじゃ…。
ひょっとするとテングカワハギたちも代を重ねるごとに白化に対する耐性を身につけ、いざとなったら藻を食って生き延びられる遺伝子を備えていたりして。
となれば、もうこれでサンゴ壊滅に伴うテングカワハギの絶滅を心配する必要はない…
…わけないか。
10月になって本格的に食糧難に陥り始めたのか、ほんの2週間ほど前まではあれほどたくさんいたテングカワハギたちだというのに、とあるポイントのリーフエッジ沿い50mの範囲をサーチしてみたところ…
青息吐息のサンゴを心配そうに見つめる↑このペアを含め、2ペアにしか出会えなかった。
11月になってリーフ内を潜ってみたところ、リーフエッジ付近に比べれば遥かにミドリイシの被害が甚大でほぼ絶無になっているからだろう、普段ならあまり寄り付かないサンゴを頼っていた若いペアの姿があった。
この日は彼らのほかにもポツポツ姿を見かけたけれど、リーフ内でもミドリイシがそこかしこで元気に育っていた白化前に比べれば、その数は激減といっていい。
もともと高水温に耐性があるリーフ内のサンゴたちは白化の被害をほとんど受けず、今夏はストロングな台風が来なかったこともあってスクスク育ち、群落はさらに広がっている。
それにもかかわらずテングカワハギが激減しているところをみると、どれほど群落が広がっていようとも、ミドリイシ類の代替食にはなりえないということなのだろう。
ゲップが出るほどいくらでもテングカワハギが観られた時代は、今年でひとまず終了となりそうだ。
本文中でも述べているように、前回の大規模白化(98年)の際は、いったん絶滅してしまったテングカワハギが再びたくさん観られるようになるまで十数年かかった。
今年の白化は98年の時ほどの激壊滅というわけではなく、リーフエッジ付近で白化に耐えたミドリイシ類もけっこう観られるから、ひょっとするとテングカワハギの復活も、案外早いかもしれない…
…という淡い希望を抱いている。