全長 8cm
テレビなどいろんなメディアで海の中の世界が紹介されるようになってきた今の世の中では、ダイバーならずとも「掃除屋さん」と呼ばれる魚がいることをご存知の方は多い。
そのためこのホンソメワケベラも、名前まで記憶されているかどうかはともかく、ノンダイバーにもその存在を広く知られている。
ダイバーにおいては、クリーナーフィッシュとも呼ばれる魚たちの代表選手といえばホンソメワケベラだ、ということは衆目の一致するところだろう。
ソメワケベラに対して「本」ソメワケベラと呼ばれるのは、きっとクリーナーとしての実力がソメワケベラより1枚も2枚も上だから……
…と、ダイビングを始めて間もない頃は勝手に理解していた。
ところがこの和名を記載した研究者は本来、「本ソメワケベラ」ではなくて、本家ソメワケベラよりも細めの体つきという意味で「細ソメワケベラ」と命名したかったという。
ところが論文といっても手書き原稿だった時代のこと、件の研究者の論文の字がヘタ過ぎたあまり、「ソ」が「ン」と誤読されたまま和名として登録されたという、思わず眉に唾をつけたくなるシンジツを知った。
ああ、アナログ時代の素晴らしさよ、さらば。
子供の頃から働き者
和名の由来はともかく、あらゆるクリーナーフィッシュの中で、最も働き者といっていいこのホンソメワケベラは、子供の頃からすでにもう働き者だ。
黒いボディに青いラインが特徴のチビは、ホントにチビチビの頃からクリーニングに余念がない。
タテキンがこんなチビに何かしてもらってなにかがどうにかなるのかと疑問に思うほどのサイズでも、一所懸命クリーニングに励むチビターレ。
これで15mmほど。
なにもこんなに小さいうちから働かなくても…という気がしなくもないけれど、こんな小さな掃除屋さんがいてくれるおかげで……
小さな小さなヒメスズメダイも、安心して身を委ねることができる。
チビもオトナも、自らがクリーナーであることをアピールするためか、上下に小刻みに揺れ泳ぐ独特の泳ぎ方で存在を示している。
なので彼らがクリーニングをするところ、すなわちクリーニングステーションは、付近に定住している魚たちはもとより、もっと広い範囲の中層を遊泳する魚たちにも認識されている。
群れで移動しているグルクンも、わざわざ群れから離れてホンソメワケベラに掃除してもらいにくるモノが必ずいるほどの人気ぶりだ。
中層で群れ集うグルクンに大挙押し寄せられると、ホンソメワケベラクリニックはてんやわんやの大騒ぎになる。
なにしろ訪れるグルクンたちが我れ先にと大口を開けて迫ってくるのだ。
ペアもしくはハレムでクリニックを経営しているホンソメワケベラたちは、休む間もない繁忙状態でもけっして音を上げない。
ホンソメワケベラの顧客は中層から舞い降りてくるグルクンたち以外にも多種多様で、他の魚に危害を加えることなどない小魚から……
他の魚を一呑みにしてしまう肉食魚まで……
多岐に渡っている。
1m超のイソマグロまでやってくるクリーニングステーションは滅多にないけれど、写真の根のホンソメワケベラはたいそうご長寿の特大ホンソメで、その手技がちょうど大型魚のツボなのか、イソマグロの他、サバヒーなどもこの根にちょくちょく立ち寄る。
イソマグロも他の魚同様、クリーニングを受けている最中はボワワワ〜ンと体が縦になっていく様子が笑える。
イソマグロにしろハナビラウツボにしろ、ホンソメワケベラを食べてしまうことは絶対にない。
クリーナーとそのクライアントには、仁義とでもいうべき信頼関係があるのだ。
だからどんなに大きな口のハタであっても、ホンソメワケベラは幼魚ですら安心して掃除することができるのである。
ツープラトンケア
ソメワケベラは複数で施術をすることは滅多にないのに対し、ホンソメワケベラはクライアントさんが大きめだと、オスメス仲良く共同作業になることが多い。
特にフグ系は体の表面積が大きく動作がゆっくりめということもあってか、2人がかりでの施術になっているケースをよく観る。
ケショウフグにも……
ハリセンボンにも。
ただし場合によっては、さして大きいわけでもない魚に2人がかりになっていることもある。
さほどホンソメワケベラと体格差がないトモシビイトヒキベラに、いったいぜんたいなぜにわざわざ2人がかりで?
不思議に思い、妙にじっとしているトモシビイトヒキベラをよく観てみると……
体表を這い回る系の小さなクリーチャーがたくさんついていた……。
たとえ火の中水の中口の中鰓の中…
ホンソメワケベラは他の魚=クライアントさんの体の隅々までケアするクリーナーではあるけれど、口の中やエラの周囲への施術を最も得意にしている。
クライアントさんは完全に身を委ねているので、体ごと鰓の中や口の中に入り込んでの施術となることもしばしばだ。
鰓の中も……
口の中も。
鰓も口も、食べかすやそれらがもたらす寄生虫がより多い場所なのだろう。
意外に大胆
こういったクリーニング作業はわりとデリケートなテクニックを必要としているように思えるけれど、場合によってはかなり大胆な処置をしているようで、クリーニング作業中のホンソメワケベラの口元をよく見ると……
けっこう本格的に口を開け、何かに咬みつこうとしている様子がうかがえる。
そのため場合によってはヒヤリハットな施術もあるようで、ホンソメワケベラがクライアントから、「痛ぇぞ、この野郎!」的にお叱りを受けて追いかけられていることもある。
ただし、ホンソメワケベラの上得意客であるアカククリになると、大胆な施術のほうが喜ばれるらしい。
アカククリに対し、相当力技を決めている様子のホンソメワケベラ。
絶妙腹ビレテクニック
彼らのクリーニング作業はけっして口元の力技だけではない。
クリーナーがクリーナーであるための秘訣は、口技ではなくヒレの繊細なタッチにあるのだ。
彼らがクライアントに近づく際には、まずは腹ビレの絶妙なタッチを施すことによって、クライアントをウットリさせることから始まるのである。
そんな腹ビレテクニックを駆使している様子。
どのケースでも口技の施術(?)はいっさいなく、腹ビレ絶妙タッチだけで魚に寄り添っていることがおわかりいただけよう。
これこそが、魚たちをウットリさせる絶妙のワザ。
オジサンときたら、その絶妙タッチに加えて口技施術までしてもらい、ついに歓喜の絶頂に達してしまうほどだ。
このオジサンが、どれほどホンソメワケベラの施術を待ち焦がれていたかということは、この少し前の写真が如実に物語っている。
ニセネッタイスズメダイの施術が終わるのを、待てない、待てない、もう待てない!!オジサンの図。
気配り施術だからこそ、ホンソメワケベラはクライアントさんたちから愛されているのだ。
ホンソメワケベラの産卵
誰からも愛される技術の研鑽を惜しまない彼らホンソメワケベラは、ときには互いをケアしあうこともある。
ホンソメワケベラは基本的に1匹のオスが縄張り内に複数のメスを従えているそうで、実験的に群れのリーダーであるオスをその縄張りから排除すると、最も力のあるメスがただちにオスの行動をとり始めるという。
でも普段目にする限りでは、そのようなハレム形式というよりは、2匹仲良く夫婦善哉的ペアのような気がするんだけど、これは単に個体数の問題なのだろう。
シーズン中にそんなペアを観ていると、クリーニングのことなどすっかり忘れたかのごとく、オスがメスに対してしきりにアピールしていることがある。
そのアピールの結果メスの気分が盛り上がると………
晴れて産卵ということになる(右がオス、左がメス)。
ホンソメワケベラの産卵も潮のタイミングに合わせて日中に行われる。
オスがアピールしているお相手のメスのお腹は卵でパンパンに膨れており、オスの動きと合わせ、産卵間近であることがわかる。
やや中層に上昇して産卵する彼らなので、オスはしきりにメスを上へ上へと誘う動きをする。
その健気なオスのアピールは、メスの気分が盛り上がるまで続くのだけど、産卵自体は一瞬で終わる。
小さい画面じゃ見づらいけれど、最後に2匹がサッと別れる寸前に産卵・放精が行われている。
知られざる苦労
仕事も恋も順調、おまけに皆から愛されて命の危険も無し。
ホンソメワケベラはまさに、我が世の春を謳歌する順風満帆人生のように見える。
しかしそこは自然界、彼らにだって危機はある。
誰からも愛されているはずなのに……
中には怪我をしているモノもいるのだ。
仁義を知らぬ暴漢に襲われたのか、はたまたそもそもホンソメワケベラのクリーニングを必要としないモノにやられてしまったのか。
また、他の魚の寄生虫を取ってあげるクリーナーではあるけれど……
……寄生虫に寄生されているモノもいる。
クリーナーとしての信用問題にかかわるのでは?という気がしなくもないけれど、昔から医者の不養生などという言葉もあるくらいだから、自分のケアは二の次になっているのかもしれない。
働き者の鑑のようなホンソメワケベラ。
けっして派手な活躍はないけれど、緻密な野球には欠かせない送りバントの名手のような、海の中で実に味わい深い魚なのである。
※追記(2020年4月)
書き尽くした感があったホンソメワケベラながら、その後もいくつか面白いシーンに出会った。
それをここにつらつら書き連ねると長くなりすぎるから、すでに書き連ねてある拙日記コーナー2題にリンクを貼っておく。